埼玉県のお話 2013.1.12
こんにちは
浜松町第一クリニック大宮院 院長の仲川です。
大宮駅すぐ、という立地もあり、各方面からご来院頂いております。
そうは言っても、一番多いのは勿論、埼玉県にお住まいの方々なのですが・・・
開院当初は今まで見聞きしたことのない地名を耳にする事が多く、地図で調べたりしていました。
その中で、知ってるようで知らなかった地名があります。
『北足立郡』と『北葛飾郡』です。
『足立区』と『葛飾区』は東京23区に含まれている事もあり知っていたのですが。
両方共に『北』が付いてる上に『郡』がついてる・・・
似たようなモンなのかな、と思って地図を見てみると
☆が付いてる所が『北足立郡(伊奈町)』と『北葛飾郡(杉戸町、松伏町)』です。
ちなみに、参考までに東京都の地図を見てみると
離れた位置にある・・・
関係ないのかな?と思ってもう少し調べてみた所、
・・・もちろん、関係はありました。
そりゃそうだ、地名には何かしらの意味がありますからね。
江戸・明治まで遡る話になるのですが、廃藩置県の前。
東京都周辺は今とは異なり、『武蔵国』『相模国』『下総国』といった名前で呼ばれていました。
そして、足立郡は『武蔵国足立郡』、葛飾郡は『下総国葛飾郡』と言われた場所だったのです。
しかし1871年、明治政府により廃藩置県がなされ、その流れの中で東京都(府)、埼玉県、千葉県、神奈川県が生まれ、結果として、足立郡および葛飾郡は分割されることとなりました。
その際、埼玉県に分割された足立郡・葛飾郡を『北足立郡』『北葛飾郡』と呼ぶようになったそうです。
その時の地図ですがこちら。
引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C
≪wiki 埼玉県≫
当時は北足立郡も北葛飾郡も広かったですね。
その後、都市化が進み人口が増加していくにつれ、○○郡△△町→△△市となり、○○郡から離脱
を繰り返してきた結果、二つの郡ともに現在の大きさになっていった、という事だったようです。
現在の地図だけでみたら、足立区・葛飾区と離れていて変だなと思う所ですが、もともと両郡ともに広かった、というだけのお話でした。
それはさておき、バイアグラ、レビトラ、シアリス、プロペシアの処方は当院にて。