クリミア戦争 2014.4.25
こんにちは。
浜松町第一クリニック大宮院、院長の仲川です。
ロシア・ソチオリンピック開催と並行し、ウクライナ情勢が混沌としてきました。
その中で、要所の一つになっている『クリミア自治共和国』に関して。
これを耳にした時に…高校の世界史の授業でクリミア戦争って習ったな、と思い出したので、山川の世界史教科書を見てみました。
~クリミア戦争~
かねてから地中海への出口を求めていたロシアは、オスマン帝国内のギリシア正教徒に対する保護を理由に、1853年オスマン帝国と開戦した。 インドへの通路確保のためオスマン帝国の保全をねがうイギリスと、威信回復をねらうフランスとは、オスマン帝国と同盟してロシアを破り、その南下をはばんだ。これがクリミア戦争(1853年~56年)である。
『もういちど読む 山川世界史p.170』
ヨーロッパ列強の東方問題/オスマン帝国の衰退、聖地管理権問題、ロシア南下政策、といったキーワードを理解しないとなかなか理解が難しいですね。
これを逐一書き出すと、おそらくヨーロッパの近代史を追っていく事にもなってしまうのでひとまずは保留とします。
戦争や紛争…いや、あらゆる争いには『建前』と『実利』が存在していてどちらか一方のみを見ていても真実は見えないという事なのだと思 います。
とまあ、医者トークと関係ないことを延々と書いていきたい気持ちはあるんですが、このブログの趣旨と反するので…
クリミア戦争で活躍した、有名な看護師さんがいらっしゃるのでその紹介を次回に!
きっと、誰もがご存知の名前だと思います